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王政復古

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王政复古日本江户时代后期,1868年2月8日庆应4年12月9日),在朝廷发起的宣告将政权交归日本天皇(明治天皇)的政变

经过编辑

王政复古的大号令编辑

【王政復古の大號令・慶應三年十二月九日】『三條實美公年譜』十七。

 徳川内府、從前御委任の大政返上・將軍職辭退の兩條、今般、斷然、聞し食され候ふ。

 抑も癸丑以來、未曾有の國難、先帝、頻年(としごろ)、宸襟を惱まされ候ふ御次第、衆庶の知る所に候ふ。之に依り叡慮を決せられ、王政復古、國威挽囘の御基、立て爲せられ候ふ間、自今、攝關・幕府等廢絶、即今、先づ假に總裁・議定・參與の三職を置かれ、萬機、行は爲らる可く、諸事、神武創業の始めに原づき、縉紳・武辨・堂上・地下の別無く、至當の公議を竭し、天下と休戚を同く遊ばさる可き叡念に付き、各々勉勵、舊來驕惰の汚習を洗ひ、盡忠報國の誠を以て、奉公致す可く候ふ事。

一、内覽(攝政二條齊敬)、勅問御人數の國事御用掛(重臣二十九人)・議奏武家傳奏・守護職・所司代(桑名藩主松平定敬)、總て廢絶せられ候ふ事。

一、三職人體

總裁、有栖川帥宮(熾仁親王)

議定、仁和寺宮(入道純仁親王、後の東伏見宮嘉彰親王)・山階宮(晃親王)・中山前大納言(中山忠能)・正親町三條前大納言(正親町實愛)・中御門中納言(中御門經之)・尾張大納言(徳川慶勝)・越前宰相(松平慶永)・安藝少將(淺野茂勳、後の長勳)・土佐前少將(山内豐信)・薩摩少將(島津茂久)

參與、大原宰相(大原重徳)・萬里小路右大辨宰相(萬里小路博房)・長谷三位(長谷信篤)・岩倉前中將(岩倉具視)・橋本少將(橋本實梁)・尾藩三人・越藩三人・藝藩三人・土藩三人・薩藩三人

一、太政官始め、追々興こ爲らる可く候ふ間、其の旨、心得居る可く候ふ事。

一、朝廷禮式、追々御改正、在ら爲らる可く候得共、先づ攝□[竹+録]門流の儀、止められ候ふ事。

一、舊弊御一洗に付き、言語の道、洞開せられ候ふ間、見込み之れ有るの向は、貴賤に拘らず、忌憚無く、獻言致す可く、且つ人材登庸第一の御急務に候ふ故、心當りの仁、之れ有り候はゞ、早々言上有る可く候ふ事。

一、近年、物價、格別騰貴、如何とも爲す可からざる勢ひ、富者は益々富を累ね、貧者は益々窘急に至り候ふ趣、畢竟、政令正しからざるより致す所、民は王者の大寶、百時御一新の折柄、旁々宸衷を惱まされ候ふ。智謀遠識救弊の策、之れ有り候はゞ、誰れ彼れ無く、申し出づ可く候ふ事。

一、和宮御方(靜寛院宮親子内親王)、先年、關東へ降嫁、有ら爲られ候得共、其の後、將軍薨去、且つ先帝攘夷成功の叡願より、許さ爲られ候ふ處、始終、奸吏の詐謀に出で、御詮無きの上は、旁々一日も早く、御還京、促さ爲られ度く、近日、御迎への公卿、差立てられ候ふ事。

 右の通り、御確定、一紙を以て仰せ出され候ふ事。

小御所会议编辑

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